定型発達は本当に“ふつう”なのか―コケの生態学からふと考えた発達障害やHSPのこと

「定型発達」と呼ばれている人たち、つまり現代社会において多数派を占めている人たちは本当に“ふつう”なのでしょうか?

このブログではかねてより、定型発達が「正常」で、発達障害(神経発達症)が「病気」や「障害」だとする考え方に異を唱えてきました。

自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠如多動症(ADHD)、限局性学習症(SLD)などを抱える人たちの生きづらさは、自分個人が病気や障害を持っているせいではなく、多数派が作った社会で、少数派として生きなければならないことからきているのではないか、という見方があります。

少数派を「障害者」と見なすと気づけないユニークな世界―全色盲,アスペルガー,トゥレットの豊かな文化
わたしたちが考えている「健常者」と「障害者」の違いは、実際には「多数派」と「少数派」の違いかもしれません。全色盲、アスペルガー、トゥレットなど、一般に障害者とみなされている人たちの

発達障害の研究とオーバーラップしているHSP(敏感な人)の研究も同じです。敏感な人はずっと主流医学から、神経質、精神的にもろい、メンタルヘルスの問題を抱えやすいなどというレッテルを貼られてきました。しかし、実際にはより敏感で深い感性を持っているだけです。

多数派と少数派の対立は、しばしば正常と異常の対立に置き換わります。歴史を通じて、多数派を占める民族や宗教は、少数派を異端とみなして迫害や抑圧を繰り返してきました。

それと同じように、現代社会でも、多数派を占める定型発達者がデザインした社会のなかで、少数民族のような神経特性をもつ人たちが不適応を起こしてしまい、異常や病気とみなされてきたのではないか、そのような考え方をこれまで紹介してきました。

アスペルガーから見たおかしな定型発達症候群
定型発達症候群(Neurotypical syndrome)は神経学的な障害である。「アスペルガー流人間関係 14人それぞれの経験と工夫」という本では、定型発達の人は、とても奇妙に

しかしながら、この見方では、あくまで定型発達者が“ふつう”、つまり人類の多数派であり、発達障害者は“異端”、つまり少数民族である、という前提はそのままでした。

ところが、最近、コケの自然誌という本を読んでいて、そこに疑問を持ちました。本当に定型発達はむかしからずっと人類社会において多数派、スタンダードだったのか?

もし過去の時代において、定型発達が少数派で、もっと多様な神経特性を持つ人たちが多数派を占める時代があったのだとすれば、「定型」つまり“ふつう”を意味するこの呼び名からして正しくない、定型発達などというのは幻想だ、ということになります。

タイトルにあるように、「ふと考えたこと」にすぎず、あまり細部の正確性には自信はありませんが、ご興味のある方はお付き合いください。

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「ベストを尽くす」限度がわからず、やりすぎてしまう人たち―本当に心理的な問題?

の記事は「自己意識」について脳科学的に考えた前回の記事の補足です。本文と合わせて読んでいただくほうがわかりやすいと思いますが、単独でも読めるように書いています。

「意識しすぎる」脳―HSPや解離の理解に不可欠な島皮質と帯状回についてまとめてみた
HSPの人たちの脳では活動が活発なのに対し、解離の人たちの脳では活動が低下していると言われている「島皮質」や「帯状回」とはどんな機能をつかさどっているのか、意識や自己についての研究

本文では、「自己意識」は、どのように作り出されるのか、神経科学者アントニオ・ダマシオやバド・クレイグの理論をもとに考えました。

たとえば感受性の強いHSPの人たちがしばしば「意識しすぎ」だと言われるのは、この自己意識を作り出す脳の領域が活発すぎる、ということで説明がつきます。

自己意識の機能が強いことは、ちょっとした刺激に敏感になったり、他の人の評価を気にしすぎてしまったり、感情移入しすぎたり、鮮明な夢を見たりと、実にさまざまなところに関係していました。

この記事ではその補足として、さらにもうひとつ、自己意識の機能は、「ベストを尽くす」という能力にも関係しているのではないか、という点について考えます。

「ベストを尽くせ」と言われても、自分にとってのベストとは何なのか、どの程度までやればいいのかがわからず、ついやりすぎてしまう人がいます。わたしもそうでした。

子ども時代にトラウマを負った人、発達障害の人、さらには慢性疲労症候群や線維筋痛症といった病気になる人たちは、しばしば「頑張りすぎる」と言われます。自分で限度がわからず、果ては身体を壊してしまいます。

限度を超えてやりすぎてしまうのはなぜでしょうか。どのようにして、限界をわきまえることができるでしょうか。

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「意識しすぎる」脳―HSPや解離の理解に不可欠な島皮質と帯状回についてまとめてみた

「自意識過剰じゃないの?」「意識しすぎてる」「神経質すぎる」「気にしすぎ」。

まじめで感受性の強い人ほど、家族や友達から、こんなことを言われた経験がたくさんあるでしょう。

自分について思い悩みやすい、恥をかくことへの恐れが強い、人の目を気にして過剰に空気を読みやすい。いつも誰がに評価されている、見られていることを意識してしまう。

そんな人たちの特徴は、確かに「意識しすぎる」ことから来ています。

けれども、「意識しすぎる」のは単なる気の持ちようなのでしょうか。周りの人が言うように、もっと気楽に構えれば気にならなくなるような、単なる思い込みにすぎないのでしょうか。

そうではありません。ビアンカ・アセヴェド(Bianca P Acevedo)らによる、敏感な人(HSP : Highly Sensitive Person)の研究によれば、こうした人たちは、「自己意識」を作り出す脳領域の活動が活発だということが確かめられているからです。

The highly sensitive brain: an fMRI study of sensory processing sensitivity and response to others' emotions

Across all conditions, HSP scores were associated with increased brain activation of regions involved in attention and action planning (in the cingulate and premotor area [PMA]).

For happy and sad photo conditions, SPS was associated with activation of brain regions involved in awareness, integration of sensory information, empathy, and action planning (e.g., cingulate, insula, inferior frontal gyrus [IFG], middle temporal gyrus [MTG], and PMA).

敏感性感覚処理(SPS)の数値が高いHSPの人たちは、たとえば、cingulate(帯状回), insula(島)などの脳領域の活性が高く、その部位はawareness(意識)などの機能と関係しているとされています。

意識しすぎるのは、単なる気の持ちようではなく、脳の「意識」に関わる領域の活動レベルの高さからくる性質だったのです。

さらに、興味深いのは、HSPの人たちが慢性的なストレスにさらされたときに陥りやすい「解離」と呼ばれる低覚醒状態では、身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアに書かれているように、これらの脳領域の活動が逆に低下する、ということです。

ラニウスとホッパーのfMRI研究を思い出してみよう。解離状態の患者には、身体感覚を制御する脳領域(島および帯状回)の大幅な活動低下が認められた。(p139)

島および帯状回は、体内の受容体からの感覚情報(内受容)を受け取る脳領域であり、ヒトが自らの「固有性」そのものとして感じ理解しているものの基礎を形成する。(p125)

HSPの人たちは、「意識しすぎる」傾向を持っています。しかし、それゆえにトラウマに直面すると圧倒されてしまい、まったく逆の極端、「意識を飛ばす」解離によって対処しがちです。

この記事では、HSPや解離について調べていると頻繁に名前を見かける、「島」と「帯状回」という自己意識に関わる二つの脳の領域について、どんな機能を持っているのか、文献をまとめてみました。

ちょっと難しい内容が多いですが、HSPを科学的に考えたい人にとっては必須の部分ではないかと思います。

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解離とは神経学的に身体がバラバラに切り離されること―古代インドとエジプトの物語から学ぶ

「身体の一部が消えてしまったように無感覚で麻痺している」「手足の存在が感じられない」「身体や手足の一部が死体や異物のように感じられる」「身体がバラバラに切り離されている」

戦争や事故、虐待、痛みや恐怖を伴う医学措置など、さまざまなトラウマによって解離を起こした人たちは、そうした感覚を経験することがあります。

たとえば、サックス博士の片頭痛大全 (ハヤカワ文庫NF)には、次のような表現がありました。

頭がすっかり混乱してしまい、体に不思議なことが起きている気がします。

体がいくつもの部分に分かれ、目や手、脚が切り離されているのです。

なにか絶対に必要なものが消えている。しかも跡形もなく消えている。それが一度あった「場所」ごと消えてしまっているのです。それは、どこにもなにもないという恐怖なのです。(p194)

これは、神経伝達の乱れから起こる一時的な解離現象についての記述ですが、注目したいのは、「体がいくつもの部分に分かれ、目や手、脚が切り離されている」という部分です。

慢性的なトラウマのサバイバーでは、このような解離状態が、一時的にではなく、慢性的にずっと、何年も何十年も続くからです。

この「バラバラに切り離されている」、という感覚は、比喩的なたとえだと思われがちですが、現代の神経科学から解離という現象を考察してみると、単なる比喩以上のものだとわかります。

トラウマの解離とは、脅かされた部分を切り離してしまう、いわば“トカゲの尻尾切り”に似た防衛反応です。さまざまなトラウマを経験して、繰り返し脅かされた人は、全身のいたるところの感覚が切り離されてしまいます。

たとえば手足を痛めつけられた人は手足の感覚が麻痺してしまい、性的虐待を受けた人は骨盤のあたりが無存在になってしまい、繰り返し存在自体を脅かされた人は、内臓の感覚が遮断されて、生きているという実感が希薄になってしまいます。

この記事では、解離とは全身の感覚が切り離されてバラバラになることであり、解離の治療とは切り離された感覚を再び感じられるようにしてつなぎあわせることである、ということを示す、いくつかのエピソードや物語に注目したいと思います。

なお、今回の記事は、単独記事としても読めますが、以前の3つの記事の内容が土台になっているので、そちらと合わせて読んでいただくほうが意味がわかりやすいと思います。

自分の身体が感じられない生ける屍になった人たちー感覚鈍麻とアイデンティティ喪失の神経科学
感覚過敏に比べて、あまり注目されず、深刻さが理解されにくい、感覚の鈍麻や麻痺、解離が引き起こすアイデンティティの障害について考察しました。
自分が「空っぽ」に感じるのはなぜか―実存の空虚という恐怖を神経科学から説明する
自分の身体が存在していない、内面が空虚である、といった「空っぽ」の感覚が生じる理由について、自己のアイデンティティは体性感覚から作られているというダマシオやサックスの研究から考えて
頭や内臓の異物感,手足を虫が這うような不快感の理由ー解離の体感異常についての考察
頭や内臓に異物感や不快感を感じたり、手足など全身の原因不明のむずむず感を感じたりする、解離に伴いやすい体感異常(セネストパチー)についてまとめました。

また、「バラバラに切り離される」というテーマでまとめていることから、いくつか非常に生々しい話を含むので、感受性の強い方はご注意ください。

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自分が「空っぽ」に感じるのはなぜか―実存の空虚という恐怖を神経科学から説明する

ブレーズ・パスカルは、恐ろしい幻想を周期的に見た。ときどき、自分の左側に穴か峡谷がぱっくりと口を開けているように思った。自分を安心させるために、そちら側に家具を置くこともよくあった。

……この周期的な幻想については、同時代の人たちが「パスカルの深淵」として触れている。(p 199)

間は「考える葦」であるというパンセの記述で有名な物理学者ブレーズ・パスカル。

神経科学者オリヴァー・サックスのサックス博士の片頭痛大全 (ハヤカワ文庫NF)によれば、パスカルは恐ろしい幻想を周期的に見ました。

それは、自分の左側に無存在の空虚な穴が広がっているような、いわば「空っぽ」の感覚の恐怖であり、「パスカルの深淵」と呼ばれたそうです。

この「パスカルの深淵」については、これまで心理学的、また哲学的な理由づけがされてきました。しかしサックスは、これが「視野暗点」という生物学的に起こりうる実在の症状であると説明しています。

視野暗点という症状は奇妙すぎて(実際にそれを経験した人でなければ)想像もできない。

そして「幻想」や「狂気」などとみなされ、すでに苦しんでいる患者をさらに苦しめることになるのである。

だが、最近になってようやく、ジェラルド・エーデルマンによって紹介された意識についての新たな生物学的あるいは神経精神学的な概念によって、このような症状が実際に起こり得るものだということが理解されるようになった。(p200)

サックスがこう言い切れるのは、自分も左足に大怪我を負ったとき、このような「空っぽ」の感覚に向き合ったことがあるからです。さらに、サックスの患者の中にも、あたかも身体が失くなったかのような経験をした人たちがいました。

パスカル、サックス、そして彼の患者たちは、身体のさまざまな場所にうつろな「穴」が空いたような、無存在の感覚が現れました。

場所は違えど、それらの共通点は、本来あるべきものがそこになく、空っぽで真空が広がっているような恐怖です。

この「空っぽ」の感覚は、さまざまな原因で起こりうるものですが、たとえば、幼少期に愛着障害を抱えたり、重大なトラウマを経験したりした人たちは、ときに自分の内側が空っぽだと感じる、と述べます。

わたしが知っているある人は、子ども時代を機能不全家庭で育ちましたが、自分の内側には、まるでブラックホールのような空虚さが広がっていて、それに向き合おうとしても恐怖に襲われてしまってできない、と述べていました。

「パスカルの深淵」と同じく、このような自己の核の不在という実存の空虚さもまた、従来は心理学的な心の問題とみなされてきました。

しかし、ジェラルド・エーデルマンや、アントニオ・ダマシオの神経生物学的な研究によって、「アイデンティティ」(自己という感覚)がいかにして作り出されるかが明らかになったので、もはや自己の核の不在を単なるこころの病理とみなすのは不適切です。

なぜ「脳は空より広い」のか―実はコンピュータとは全然違う脳の神経ダーウィニズムの魅力に迫る
ジェラルド・エーデルマンの神経ダーウィニズム(神経細胞群選択説:TNGS)の観点から、脳がコンピュータとまったく異なるといえるのはなぜか、「私」という意識はどこから生じるのか、解離
心は脳だけでなく身体全体から作られる―神経学者ダマシオの自己意識の研究を読み解く
心は身体を土台として生まれるという神経学者アントニオ・ダマシオのソマティック・マーカー仮説について、「意識と自己」という本から整理してまとめてみました。

この記事では、脳や身体の神経生物学的な異常によって、いかにして「自己」を構成するプロセスが阻害され、結果として内面の空虚さのような「空っぽ」の感覚が生じるかを、心理学的にではなく科学的に考えたいと思います。

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